法林山 西円寺(さいえんじ)  SAIENJI TEMPLE

  • 本堂
    本堂 
  • 山門
    山門 

基本データ

宗派
浄土真宗本願寺派
住所
〒811-4205 福岡県遠賀郡岡垣町三吉869  Map
電話
093-282-6765

歴史

境内の案内板の内容をそのまま記載する。(段落は作者が挿入した)

西円寺(さいえんじ)熊鰐(くまわに)

日本書紀によりますと、4世紀頃、仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)神功皇后(じんぐうこうごう)熊襲征伐(くまそせいばつ)のため九州にお越しになる事を聞いた当時遠賀地方(おんがちほう)の 支配者だった熊鰐(くまわに)九尋(くひろ)(約16メートル)の船に鏡、剣、玉を飾って周防(すわ)沙麼(さば)の浦、現在の山口県防府(ほうふ)市までお迎えし、 北九州に渡る水先案内を努、魚や塩をとる区域を献上いたしました。 よって熊鰐は、仲哀天皇に対する忠節を認められ(おか)県主(あがたぬし)となりました。

往昔(おうせき)の遠賀郡は、現在の北九州市の戸畑区、八幡東区、八幡西区、若松区、中間市を含む地域でありました。 熊鰐の遺跡は北九州市と岡垣(おかがき)町に数多く残されています。 八幡東区の皿倉山(さらくらやま)には熊鰐を詠んだ野口雨情(のぐちうじょう)の詩碑があります。 「(くき)の海辺の船もよい 船も帆がなきゃ行かれない お供についたくまわにが 山で帆柱きりました  その時きった帆柱(ほばしら)帆柱山(ほばしらやま)の杉でした」

熊鰐は別墅(べっしょ)のこの地に子孫を残されました。 お寺の裏山を熊山(くまやま)(72メートル)といい、山頂に岡県主熊鰐公(おかあがたぬしくまわにこう)と刻んだ石碑が あります。 また、遠賀・中間医師会病院(岡垣町手野(おかがきまちての))がある場所は、昔は沼地でしたがここは熊鰐が神功皇后を もてなした「魚鳥(ぎょちょう)の池」の跡地として伝えられています。

熊鰐第22代熊太(くまた)が最初の僧となり、第30代熊亮(くまりょう)伝教大師最澄(でんきょうだいしさいちょう) の教えを受けてこの地岡垣町三吉(みよし)に寺を建立しました。最初は星住庵(せいじゅうあん)といい天台宗でありました。 土地の人はこの寺を熊の精舎(しょうじゃ)と呼んでいました。 その後、第78代吟雪(ぎんせつ)が上京し、寺号(じごう)木仏(もくぶつ)を許可され寺号を西円寺と改めました。

熊鰐性は岡の県主熊鰐公より現在に至まで約1700年にわたり93代に及びます。

浄土真宗本願寺派西円寺としましては、熊鰐吟雪(西円寺住職第1世)より、 現在熊鰐第93代薫修(くんしゅう)(西円寺住職第16世)に至るまで340年の法灯が受け継がれています。

            合掌

 平成18年(2006年)7月


筑前國續風土記付録』巻之28 遠賀郡 松原村の項にの下記の記載がある。

西円寺真宗 佛堂4間5間

法林山と號す。芦屋安養寺に属せり。 寛文6年寺號木佛を免さる。 むかしハ天台宗にて星住庵と號せしか、元禄年中真宗になりしとそ。

ひとくちメモ

西円寺は吉木西の町の丘(熊山)の麓に伽藍を構えている。 上の寺伝のように神話時代までの歴史を持つ寺院である。これは驚きである。 西円寺前は広大な田んぼが広がっている。

裏山の熊山の頂上にあるという石碑は作者は現在確認できていない。


写真

  • 本堂の扁額
    本堂の扁額 
  • 全景
    全景