東向山 隆守院(りゅうしゅいん)  RYUUSYU-IN ZEN TEMPLE

  • 本堂
    本堂 
  • 本堂裏手の岡城に通じる石段
    本堂裏手の岡城に通じる石段 

基本データ

宗派
曹洞宗
住所
〒811-4211 福岡県遠賀郡岡垣町吉木1628  Map
電話
093-282-0735

歴史

境内の案内板の内容をそのまま記す。

東向山隆守院

岡城主麻生河内守隆守は大友宗麟の臣瓜生貞延に攻められ、 天文13年月(1544)日内浦海蔵寺で自刃する。

瓜生左近貞延は後宗像家の家臣となり吉田姓に改めるが、 麻生隆守の霊が吉田家をたたり、吉田家が衰退するため 岡城の下に守臺院を建て麻生氏を供養した。

承応2年(1653年)龍昌寺8世金峰元錫(きんぽげんし)和尚を開山に 請じ隆守の霊を弔った。元錫和尚は万治2年(1659)に守臺院を隆守院と改名した。

隣接の日照山勝業寺が明治時代に廃寺となったので、勝業寺の本尊、大日如来坐像 などが隆守院も移された。

町指定文化財

・木造胎蔵界大日如来坐像(室町時代)

・岡城跡(室町時代)

平成13年3月 岡垣町教育委員会


また『筑前國続風土記』巻之14に下記の記述あり。

○隆守院 禪宗

恩賀山と號す。吉木村にあり。岡の城のふもとにして、麻生隆守が為に立てし寺なる故、 隆守院と號す。隆守の墓位牌あり。

ひとくちメモ

隆守院は吉木小学校の西にひっそりと伽藍を構えている。 その裏山が岡城である。


  • 隆守の墓か?(未確認)
    隆守の墓か?(未確認) 
  • 本丸 - 木の向こうには町が見渡せる
    本丸 - 木の向こうには町が見渡せる 
  • 二の丸 - 石仏を多数の小さい石仏が円形に取り囲んでいる
    二の丸 - 石仏を多数の小さい石仏が円形に取り囲んでいる 
  • 本丸に通じる山道。多数の石仏が鎮座している
    本丸に通じる山道。多数の石仏が鎮座している 

岡城跡

本堂裏手に、小高い山があり、そこに岡城跡がある。案内板の内容をそのまま記す。

岡垣町指定文化財「岡城」のこと

ここは岡垣町で唯一、中世城郭の跡をとどめる岡城跡です。

岡城は、まだ戦国時代たけなわの文明年間(1469-1487)の終わり頃に、 この地の領主だった麻生家延(いえのぶ)によって築城されたものです。

麻生氏は下野国(しもつけのくに)(現在の栃木県)宇都宮氏の出で、 鎌倉幕府発足の頃、源氏勢力の一翼で九州にきた鎌倉武士の一人です。

麻生氏はその後、北条氏の御家人から室町時代には筑前国守護職大内氏に属して、 遠賀川の河口一体を支配する大きな勢力になりました。 文明10年(1478)麻生家の跡取りを巡る内紛で、大内氏が大軍で攻め寄せる 「花尾城[1]合戦」が起こりました。 この結果、それまでに総領として麻生氏を束ねていた麻生家延が破れ、 その和睦の条件で遠賀川西の岡ノ庄(おかのしょう)28ヶ村が家延に与えられ、 家延はこの吉木の地を選んで城を築きました。

これが「岡城」で、別名「腰山城(こしやまじょう)」ともいわれました。

家延から三代目の麻生隆守のとき、岡城は豊前の大友勢に侵攻され(永禄5年(1562)以降) 落城、隆守は自刃して吉木麻生氏は絶えました。 城跡は、麻生隆守の菩提を弔って「隆守院」の境内域になっていて、地元の人びとによって 今日まで手厚く保護されてきました。

この城跡は、東西に汐入川(しおいりがわ)を配した小丘陵で、最も高い本丸跡は 40メートルしかなく、南東面は急斜面で守られ、北東面に二の丸・三の丸を 梯郭式(ていかくしき)に配置した典型的な山城です。

(中略)

石垣は用いられず、岩質の山肌はそのまま城構えに利用されています。

城の表口は本丸の北西山麓で、城主の屋敷跡を示す「門田(かどた)」地名が 現在も残っています。

----平成8年10月10日 岡城築城五百年記念事業実行委員会

[1]花尾城:北九州市八幡西区元城町の上にある花尾山(標高348m)にあった山城。