金龍寺境内の石碑によれば、永正5年(1508年)高祖城々主原田興種公が父弘種公菩提の為に創建したとある。
『筑前続風土記』によれば、「天正15年(1587年)に原田氏當國を去て肥後國に往し[1]後は、衰微に及べり。 慶長16年(1611年)、長政公の家臣高橋伊豆、此寺の檀越と成り、彼寺を城下に移さん事を推挙 して、荒戸山に寺地を給はり、高祖村より寺を移せり。」 「然れ共其奮地なればとて、此所にも寺を残し置て今に在。」とある。
従って、太祖山 金龍寺と耕雲山 金龍寺とは深い関係にある。
[1]原田信種のとき、秀吉の九州征伐で敗れ、小早川隆景に降伏。秀吉から助命はされたが領地は全て没収され肥後国に仕えた。
金龍寺の裏手にある高祖山には怡土城跡がある、ここでは詳細には述べないが8世紀ころに建てられた山城跡である。 高祖山は山道が縦横にあり、まる一日かけて回るにはもってこいの場所である。 分岐点には丁寧に道標が設置されているのもうれしい。