下に二丈町教育委員会の案内板の内容を抜粋して記載する。
夷巍寺は怡土七ヶ寺( 千如寺、 霊鷲寺、 金剛寺、 小蔵寺、 楠田寺、 夷巍寺、 久安寺)のひとつに数えられている。
神亀元年(724)頃、この地に聖武天皇の勅を請けて清賀上人により建立された。南北朝の時代に一貴山の合戦で被害を受け廃寺となる。
仁王門は宝永5年(1708)にこの地に建立され、弘化3年(1846)に再建された事が記録により判明している。 門内の金剛力士像は像高3mあり、室町時代の作と考えられている。町指定文化財。
『筑前國続風土記』巻之2に「怡土郡、公領。昔二十坊あり。」の記述があり、 かなりの大寺であったことがしのばれる。
『筑前國続風土記』巻之22 ○一貴山の項にも下記の記載がある。
(前略)
僧淸賀此地にも寺を立て、一貴山夷巍寺と號す。 怡土郡七箇寺随一也。 本尊は阿弥陀にて、僧舎も十二坊有りしとかや。 其本尊も僧舎も炎上して、今はなし。 唯二王門形計り残り、仁王の像のみ門中に立り。 此二王の像甚奇巧也。
村人昔を慕ひ、村より奥の方草深き所に、小堂一宇を作り、 仏を安置せり。 其餘には寺院もなく、叉僧も居らず。 今其里のなをば一貴山村と號して、民家多し。この村の下の平地より漸上りて、 いと高き所にあり。
夷巍寺は一貴山の集落にあったという。現在は山門(仁王門)しか残っていない。 仁王門内の一対の金剛力士像は見ものである。よくみるとユーモラスなお姿をしておられる。
仁王門内の地元の老人クラブ製作の案内地図によると至る所に寺跡を示す"卍"の印が記されている。 作者はそのうち何ヶ所かに行ってみたが寺跡と思われるものは発見できなかった。
境内の一貴山の集落は、一貴山川が流れまさに「日本の原風景」である。 また訪れたい場所である。