境内の案内板の内容をそのまま記載する。
慶長9年(1604)福岡藩主黒田長政公によって約3000坪の広大な寺地に本堂・開山堂・観音堂・霊堂・子院として性雲院 を建立、長誉恵順和尚を開山の僧とし、永長山昌林寺と号した。
徳川家康の養女、長政公夫人(栄姫)が江戸で没され、遺髪を当寺に埋葬し菩提所となり、 山号も夫人の法名の大凉院からとって大凉山と改め、後に昌林寺も少林寺となる。
中興開山興誉上人の頃、福岡藩上席寺院として、 触頭という寺格を持っていた。
しかし昭和5年の火災、昭和19年の福岡大空襲で共に建物一切の寺宝は焼失した。
さらに戦後の区画整理によって寺地縮小・墓地改葬、昭和28年から4ヵ年かけて本堂・ 山門・納骨堂・総檀家の墓を建立、平成14年には、信徒会館・納骨堂を増改築した。
山内には、長政夫人の五輪塔・長政の二女の笠付角柱塔・綱之等の墓塔がある。
右の『筑前國名所図会』で手前が少林寺,奥が安国寺である。
少林寺の門前は親不孝(親富孝)通りである。その昔、この付近には予備校が多く予備校生が予備校に通ったのでこの名前がつけられた。 現在も居酒屋・レストランなどが密集しており人通りが多い。