天正2年(1574年)行誓覚公和尚により創建・開山されたという。 「選擇」の由来は阿弥陀仏四十八願の十八願「悪を取り去り善を選り分ける」によるという。
選擇寺は元文5年に遊女屋が集まった旧柳町-石堂川西岸(旧大浜小学校付近[1])の旦那寺となり、 亡くなった遊女の投げ込み寺となったという。下記の紫陽花忌を参照のこと。
[1]現在の原三信病院南側付近(福岡市博多区下呉服町10−15)と思われる。
毎年6月27日13時より 「紫陽花忌」
※江戸時代末期、19歳で亡くなった、母親思いで信心篤い名妓・雪友の命日。 江戸時代から明治初期にかけて亡くなった遊女、580体の無縁仏がまつられているという。 詳細は “紫陽花忌”悲しい遊女たちに博多人形を(博多区選擇寺) - ふくおか商店街blog 参照の事。
木造阿弥陀如来立像
ここ浄土宗の選擇寺は16世紀中頃開かれ、 17世紀には住吉の妙圓寺 の末寺となっています。この寺の本尊として祀られているのが、木造阿弥陀如来像です。
この仏像は、高さ119.4cm、檜材を用いた寄木造で、肉身部は漆箔を施し、頭髪と法衣は彩色を行っています。
広めの瞼に前方下方を見つめる彫眼の伏目、円満な顔立ちと頬のふくよかなふくらみ、 浅い彫りで流れるような美しい衣線文、腰部から垂下した衣文で量感のある 上腿を表すなど、優美な象容とすぐれた彫技を示しています。
本仏像は行基の作と伝えられていますが、以上のような特徴から、平安時代後期の 作風と彫技を備え、京都や奈良の中央仏師により造られたものと考えられます。 この仏像は、本市に数少ない平安時代の仏像彫刻の優品として貴重な文化財です。
(1999年3月 福岡市教育委員会)