『筑前國續風土記付録』巻之6 那珂郡 下の八反田村の項に下記の記述がある。
盛福寺(浄土宗 仏堂4間4面)
楊柳山不遠院と號す。福岡圓應寺に属せり。 開山を呈岌と云。此寺始は大鋸谷村今の櫻か峯地蔵堂邊にありしか、 慶安4年(1651)今の地に移せり。開基は小河内蔵允之直也。
○寺後に黒田源兵衛正茂か墓あり。楊柳山覺譽宗悟と號す。 正茂もと木村氏也。 忠之公の恩寵を蒙り黒田氏を給ハりしか、正保4(1648)年8月8日自殺せり。 此寺に葬る。後に忠之公の命によりて正茂か追號をもて山號とせり。
上の歴史の項とも重複するが、 福岡市のホームページによれば、盛福寺には福岡藩重臣の木村源兵衛の位牌があるとの亊。 以下は同ホームページ今泉天神通りの3か寺からの引用。
「源兵衛は武勇に優れ、島原の乱ではその働きが認められて福岡藩2代藩主・黒田忠之から加禄され、黒田姓を賜りました。後に浪人となりましたが、しばらくして忠之から復帰の命が下り、短刀を賜りました。源兵衛はこれをどう解釈したか、 正保3年(1646年)にその短刀で切腹しました。忠之は大いに驚き、丁重に埋葬して盛福寺を建立し、源兵衛を慰霊したといわれています。」