『筑前國続風土記』によれば、開山は谷阿上人という。開基の年は定かではない。 この僧が亡くなったのが仁治2年(1241年)というからそれ以前であることがわかる。
寺内には人魚の骨も安置されている。なんと147mとの言い伝えがある。(下の写真を参照の亊)
那珂川から今の福岡が入り江であった頃、貞応元年(1222年)に猟師の網に人魚が掛かり、 都に伝えると冷泉中納言が下向され、同行した占い師により「国家長久の瑞兆なり」 と出たため、人魚を手厚く埋葬したため、後に龍宮寺と命名された
- 『福岡情緒めぐり』(福岡情緒めぐり実行委員会)より
『筑前名所図会 巻二 東長寺』の図で下部に描かれている。東長寺との位置関係はほぼ現在のままである。
『筑前名所図会 巻二 柳カ池』で人魚の絵が描かれている。不気味である。
山門を入ると荒神様(三寶大荒神)があり、その横に寺の本堂がある。
境内にある人魚塚は、何のご利益かは聴きそびれたがお参りの人が 削って持ち帰る為磨り減り、昭和33に新しいものと置き換えられたと言う。 (下の写真を参照の亊)
本堂のほぼ正面に鎮座している。観音堂横の案内板によれば、本尊は聖観世音菩薩で、 貞応年(1223年)慈覚大師作と伝えられる。
太閤秀吉の博多町割り(1587年)より博多七観音(大乗寺観音・妙楽寺観音・龍宮寺観音・ 聖福寺観音・東長寺観音・乳峯寺観音)の一つとして昔から多くの人の巡礼の場となっている との亊である。