『筑前國続風土記』 巻之六 ○高宮岩屋 興宗寺 曹洞宗によれば下記のようである。
元々穴観音があり、黒田忠之がこの観音に祈ったことがあり、その時拝屋を建てた。 その後この拝屋が壊れた為、元禄6年(1693年)に長園寺 の住職湛堂和尚が穴観音を修理し、拝屋を再建し、 その下に石段を築いた。その石段の下に寺を建て補蛇山興宗寺とした。
興宗寺はもともと遠賀郡熊手村(現在のJR黒崎駅近く)にあり、遠賀郡の 龍昌寺に属していたが、廃絶していたため、湛堂和尚が龍昌寺より寺号を譲り受けここに再興した。
東林寺のパンフレットには「卍山道白が開いた」との記述があるので、開山は卍山道白なのかもしれない。
このあたりは百塚といって古墳群のあった所であるが、福岡城が築かれた際に、その 古墳の石が多く利用され、ここの古墳だけが供養のため残されたという。 石室内には、阿弥陀(阿弥陀如来)、観音、勢至(勢姿菩薩) などが彫刻してあり、世に穴観音として知られている。また、境内には 赤穂四十七士の墓がある。