『筑前國続風土記拾遺』巻之43 麁原村(付皿山)の項に次のような記述がみられる。
真宗西本願寺末也。 本村栗林に在。 法圓と云僧開基せり。 むかしハ東派なりしか、享保12年(1727)に性含と云僧西派となれり。
境内には地蔵堂がありその脇の案内板の内容をそのまま記す。
麁原村地蔵堂の由来(享保の飢饉)
享保17年(1732)九州の大飢饉にして、5月は雨激しく、6月は日干、下旬には田に虫 が入り、7月中に志摩・早良郡・那珂郡の村々より老若男女菲人して博多・福岡に 出ると記す。
福岡藩も、米・稗・栗などの穀物を手配するも及ばず、餓死者多数なり。
当村風病、飢餓共83人なり。
姪の浜1700人、博多16,000人。死人是有りと記せり。
麁原村地蔵堂は、この時の83人の餓死者を埋めし地なりと、古人申し伝えり。
この地蔵堂は、浄土真宗顕乗寺境内に安置している。
顕乗寺は西新商店街からほど近い早良区祖原に伽藍を構えている。寺の周囲は住宅街となっている。