聖福寺の西部寺院。
『筑前國続風土記』の内容をそのまま下に記す。
「常楽寺」久保にあり。悟性山と号す。禅宗済下博多聖福寺の末院也。開基の僧不詳。一説に閑山和尚とも云。
常楽寺は、今宿の田園地帯に伽藍を構えている。春には水仙・梅、夏にはサフランもどきの花が咲き綺麗である。
また、山門の表札が枯れていてよい雰囲気をかもし出している。
山門を入ってすぐ右手に駒引地蔵のお堂がある。堂内には中央に薬師如来、その右側に駒引地蔵が鎮座されている。 よく見ると馬を引いている。このお地蔵様には悲しい物語がある。この物語は『福岡歴史探訪』に詳述されているが、 ここではその内容をかいつまんで記載する。
弘化3年(1846)正月、志摩郡青木村(現在の福岡市西区青木)の与助は福岡家中に年貢を納めた後、 福岡のメインストリートの六丁筋を黒門の方へ馬をひいて帰る途中、突然馬が暴れだした。 通行中の池上真之丞(無足組、15石4人扶持)は、驚いて道の脇へ避けようとして、袴を汚してしまった。
真之丞は大声で「無礼者」と叫び、肝をつぶした与助は逃げたが、姪浜の者に捉えられ真之丞に引き渡された。 与助は郡役所に引き渡され、今宿の牢に収監された。
真之丞は、無礼者のこの農民を斬り捨ようと上役に届け出て、屋敷内で斬り捨ててしまった。
青木村の村人は、与助の遺体を涙ながらに村に運び丁重に葬った。 村人は憐れな最期を遂げた与助の霊を慰めようと、常楽寺の境内に馬をひいた姿の与助を彫って安置した。
その後の真之丞は異説もあるようであるが、藩当局より「大休」処分となる。 今で言う休職処分で3年間の減俸処分である。与助の霊も少しは浮かばれたのではなかろうか?