『筑前國続風土記巻の二』によれば概要は下記のとおりである。
本書が記述された当時(1700年頃)は「鍛治町の東」にあり、このためこの町を「極楽町」と言われていた。 元は名島に小早川隆景が建てた寺である。黒田長政が福岡城築城の後慶長6年(1601年)名島より当時の場所(鍛治町の東) に移した。その寺の住寺を天誉上人と言う。天誉上人が本寺の開山となった。その後、黒田忠之の妹が亡くなり その位牌を安置した。故人の追号を清光院と言ったため山号を前の「果還山」から「青光山」に改めた。
極楽寺は右図によると現在の福岡中央区天神4丁目 あたりに伽藍を構えていたと考えられる。 右図には当時の極楽寺のが描かれている。(絵は博多湾に向かって描かれ、向かって右手前が 勝立寺。その左手奥が極楽寺と思われる)
その後、昭和45年(西暦1970年)に現在の地に移転した。2010-07-17現在、その跡地にはショッパーズプラザが建っている。