照福山顕光院  圓應寺(えんのうじ)[円応寺]  ENNNOUJI TEMPLE

  • 山門
    山門 
宗派
浄土宗
住所
〒810-0074 福岡県福岡市中央区大手門3-1-7  Map
電話
092-761-1454
歴史

境内の掲示板の内容をそのまま記す。

浄土宗圓應寺は慶長7年(1602)4月、黒田如水(くろだじょすい)公 の婦人照福院殿が創立した。

当時は照福山顕光院(しょうふくざんけんこういん)と号し、京都知恩院(ちおんいん) に属す。 開基は天蓮社眞譽上人見道和尚(てんれんしゃしんよしょうにんけんうかしょう)である。

照福院殿は播州志方(しかた)の城主櫛橋豊後守伊定(くしはしぶんごのかみこれさだ) の娘で天文22年(1552年)の生まれ。永禄21年(1566年)16才で 黒田孝高(よしたか)[1]()長政(ながまさ)[2] を生んだ。戦国時代の武将の妻らしく 前半生は波乱に満ちたものだったという。

寛永4年(1627年)8月26日,75才で福岡城で亡くなり照福院殿としてこの寺にまつられた。 寺は昭和20年の戦災にあい、戦後の都市計画で墓地が道路と公園にかかったので 照福院殿の墓は崇福寺[3]に移された。 寺内には昭和55年建立に供養塔がある。

墓地は冨禄武家の墓が多く、黒田節の作詞をした国学者二川相近(ふたがわすけちか), 黒田25騎の桐山丹波守(たんばのかみ),更には国士無双といわれた玄平社 頭山満(かしらやまみつる)翁の墓もある。

黒田藩との関係から、孝高(よしたか)公には本尊阿弥陀如来像(快慶(かいけい)作) 長政(ながまさ)公からは月俸および白銀、 忠之(ただゆき)[4] から知行(ちぎょう)百石, 継高(つぐたか)[5] からは早良郡七隈(さわらぐんななくま)村に二万二千坪の 土地を拝領。

寺宝として弁財天一体、大黒天一体がある。弁財天は弘法大師(空海)の直作で、大黒天は 伝教大師(最澄(さいちょう))一刀三礼(いっとうさんらい)の彫刻という。

現在の本堂、納骨堂等の伽藍は昭和54年(1979年)の建立である。(平成4年(1992年) 第35世 圓譽代(えんよだい))

[1]黒田藩藩祖黒田如水の現役時代の名前。黒田官兵衛とも名乗っていた。

[2]黒田藩初代藩主。

[3]崇福寺には夫の如水の墓がある。

[4]黒田藩2代藩主。

[5]黒田藩4代藩主。

筑前名所図会
浄念寺・円応寺
浄念寺・円応寺
九州大学デジタルアーカイブ『筑前名所図会』

圓應寺は『筑前國續風土記付録』巻之2 福岡上の簀子(すのこ)町の項に、 正法寺と共に説明が記載されている。 また制札場があった旨の記述も見られる[6]。 同大工町の項に浄念寺の 説明が記載されている。 これらの事から下記の位置関係がこの図から推定される。

右図は上部が北(博多湾)。下部が南(福岡城)[7]である。 中央に東西に走る道が旧唐津街道である。

その街道沿い海側に東から西に浄念寺、円応寺が並んでいる。 尚、両寺の間に雲が描かれているが、その位置に正法寺があるものと考えられる。

図の雲の位置の街道の南側には制札場らしきものが描かれている。

[6]制札場:「此町の南側大工町に境へる所にあり。また同所に驛舎一軒あり。」

[7]福岡城:この絵の下側にあるはずであるが、軍事上の制約で雲で隠されている。


写真
  • 本堂
    本堂 
  • 本堂の扁額
    本堂の扁額 
  • 照福院殿供養塔
    照福院殿供養塔 
  • 場内風景
    場内風景