寛文元年(1661)の創建。 黒田藩家老の小河倉乃丞が奥方の菩提を弔うために本堂が建立された。 おそらく,その奥方の名前が「永寿院」であろう。
『筑前國続風土記』巻之4 ○妙楽寺の項に下記の記載がある。
(前略)
古は子院27区あり。今はわづかに二区あり。 即宗庵望雲庵、且崇福寺の末寺、永壽院も此寺の内にあり。
(後略)
『筑前國續風土記付録』巻之4 博多上 御供所町の項に下記の記載がある。
妙楽寺の門内にあり。崇福寺に属す。 本尊は釈迦如来なり。
開基は霊通禪師(江雲和尚をいふ。)にて開基壇越ハ小河常章(俗称兵右衛門といへり。)外成居士なり。 寛文元年(1661)建立せり。
永寿院の額ハ浅井權十郎か筆なり。
初江雲和尚妙楽寺の後の松原に庵を結び休せんと欲して、其地を國君に請奉しに、 即其地を與へ給ふ。しかるに、小河常章今の地に寺を建て、和尚の在住あらんことを請う。 これに依て、江雲彼賜ハりし松原を妙楽寺に與へて此寺地に替て住せり。 故に妙楽寺の門内に此寺有といへども、彼寺に属せず。別寺也。
江雲後来に異亂あろん事を恐れて、弟子孫に一紙の書牘を遺せり。 又小河常章も其由来を書き與へし書簡今にあり。 常章自ら山林を寄す。其子孫祖意を続て、わか采地の内に田畠をも與ふ。
寺内に外成居士の墓あり。その家族の墳墓有。什物に如水・長政公の肖像あり。 この外名緇の筆跡等あり。ここに畧す。