『筑前國続風土記』によれば、正保元年(1644年)に、黒田藩主二代藩主忠之により 浄土宗より真言宗に改められた。 本尊は弘法大師作の千手観音像。「日本において希なるべし」という 寶珠があった。(径一寸三分[1])
また、同書の大乗寺の記述部分には「博多の七観音」として下記のものがあるとの記述がある。
[1]約3.3cm
大乗寺は法皇山宝珠院と号して、 昔は奈良西大寺の末寺で律宗に属し、亀山上皇の勅願寺でありましたが、 のち浄土宗に転じ、更に真言宗に改宗、大正9年(1920)長宮寺と合併して、 中央区大手門一丁目に移り戦災で焼失しました。
この寺跡に亀山上皇が元寇の際、西大寺の叡尊に命じて、博多において 敵国降伏の祈願を行わせた勅願石や、県指定文化財の地蔵菩薩の板碑、蒙古碇石があります。
-- 福岡市 --
大乗寺跡は旧博多小学校の北側のブロック塀によりそうように小さな区画として保存されている。その前は冷泉公園である。
右絵は中洲側から東に向かって描かれたと思われる。 絵の上中央が大乗寺である。流れている川は那珂川。橋を手前に渡ると中洲となる。 図上の画面の右上に櫛田神社が鎮座しているはずである。
川端町(今の上川端商店街)の様子がよく分かる。
上記の宝物は、作者は2009年5月26日現在どれも確認していない。今はなき大乗寺の寶珠と千手観音はいったい何処に 行ったののであろうか?