横岳山 崇福寺別院
SOUFUKUJI-BETSUIN ZEN TEMPLE
- 宗派
- 臨済宗大徳寺派
- 住所
- 〒818-0102 福岡県太宰府市白川25-2 Map
- 電話
- 092-922-4880
- 周辺地図
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下の資料によれば天正年中(1573-1592)に兵火にかかりほぼ全滅状態であった ようである。 近年、仏殿、開山堂、禅堂、侍物寮、書院、山門、中門等が 大宰府別院として再興されたことが博多崇福寺の案内板に記載されている。
『筑前國続風土記』巻乃8の内容を引用する。 段落、年号は作者が挿入した。
○横岳山崇福寺
此寺の跡安楽寺の西北にあり。則宰府村の境内なり。 思ひ川をへだつ。
むかし此寺横岳の下にありし故、山号を横岳山と いふ。(崇福寺の事、那珂郡の所に詳にしるす。)
四条院仁治元年(1240)湛慧といふ僧始て此寺を立。 其後湛慧、大應国師南浦明和尚を請じて、此寺の開山とす。 南浦は經山虚堂に嗣法せり。
其寺天正年中(1573-1592)兵燹にかゝりて再興する人なし。 長政公の時、春屋和尚のすゝめに依りて、箱崎松原にうつさる。
此所に方丈、法堂、佛殿などの礎の石猶存せり。いにしへは、さばかりの大寺 にて、南に向ひて諸堂をたつ。僧坊甚多かりしといふ。
霊勝院 長松軒 欄玉軒 雲谷軒
雲花庵 椎風軒 逢春軒 雲松軒
昆廬庵 正瑞庵 心宗庵 大中庵
勝禪庵 三友庵 向陽庵 正傳庵
大聖庵 叉東庵 正洞庵 耕閑庵
大成庵 正卯庵
叉八景あり。
飛瀑岩(瀑布今も有。)
此君亭(竹林少今も残れり。)
圓通閤
甘露井(今も古井有。)
覆陰藤
瑞雲庵
白蓮池(今も纔にのこれり。)
長松嶺(寺の西なる松山をいふ。)
崇福寺別院山門脇の案内板の内容をそのまま引用する。
崇福寺塔頭跡
臨済宗の寺院である横岳山崇福寺は現在の博多区千代の地所に伽藍を構える 以前には、太宰府市の北、四王寺山裾の横岳にあった。聖一国師(円爾弁円が仁治2年(1241) に開堂式を行い、後に文永9年(1272)、大慶国師 (南浦紹明)によって開山されたとされる崇福寺別院 とはここのことである。
昭和46年(1971)、秋に、中心伽藍の東の谷のこの地において崇福寺別院の庫裏 が建設されるのに伴い発掘調査がなされ、崇福寺の塔頭跡(寺を構成する施設) である「瑞雲庵」と推定される2棟の礎石建物が発見された。 一つの建物は開山塔(無縫塔)を正面に眺める位置で検出され、 昭堂または開山堂としての機能が考えられる。建物には瓦が葺かれていた。
また、この南側の谷が宅地開発されるのに伴い平成10年(1998)に調査され、 谷を盛り土整地して建てられた2棟の東西に長い掘立柱建物、 その東に隣接する丘陵部で石塔群が発見され、 写経石などの遺物が出土した。
この谷奥の右手にある開山塔は大應国師の分骨塔として継承され、 国内の同型式の典型資料として貴重なもので昭和35年(1960)1月12に県の 文化財に指定されている。
- ひとくちメモ
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崇福寺別院は四王寺山の南側の麓に伽藍を構えている。上の『筑前國続風土記』や手元の資料によれば、 かなりの寺域の広さのようで、法堂跡などの遺跡が点在している。準備不足であまり取材の時間がとれなかった。
また、お参り行った時は山門が閉められており、境内での取材ができなかった。写真はいずれも境外から撮影したものである。 次回は山門があいている時期を見計らってお参りしようと思う。
- 写真
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- 法堂跡
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法堂跡は崇福寺別院の西約200mほどの高台の住宅地の中にある。ただ、「崇福寺法堂跡」と記された石塔と、石仏1体それと説明板があるのみである。
説明板によれば、昭和42年の発掘調査により、この地に寺の中心建物があった礎石建の法堂(または仏殿) と僧堂がL字型に配された形状で確認され、 上層のものは出土した瓦類などから室町時代前期に比定され、下層は鎌倉時代後期に遡る可能性があるとのことである。






