『はかた情緒めぐり』(はかた情緒めぐり実行委員会)の内容をそのまま引用する。
日宋貿易が盛んであった頃、博多は多くの外国人商人の往来する国際都市であった。 その中で、博多の地に居を構える者も現れ、「博多 網首」と呼ばれるようになった。 彼らは当時の寺社との結びつきが強かったと言われており、その代表格が謝国明である。 彼は、聖一国師の熱心な支持者で私財をなげうって、 承典寺の創建に尽力した。 謝国明が亡くなった後、楠木を植えて祀ったことから、地元の人には「大楠さま」と呼ばれて 親しまれている。毎年、8月21日には謝国明を偲んで千灯明祭が開かれている。
福岡市博多区博多駅前1丁目に墓がある。
建久2年(1193)宋で生まれた謝国明は、帰化して 綱首謝太郎国明といい、櫛田神社の 近くに住んでいた日宋貿易に従事し、聖一国師を助けて承天寺を建てた。また、はり治療 を教えたり、貧民救済を行い88歳でなくなった。