遠賀川より西側[底井野往還] SOKOINO-OOKAN ROADAT WEST SIDE OF ONGAGAWA RIVER

概要

遠賀川より西側について記載する。

阿弥陀寺
  • 阿弥陀寺
    阿弥陀寺 
  • 境内の墓石
    境内の墓石 

阿弥陀寺は西山浄土宗で山号を西向山という。境内の墓石はかなり古いものである。歴史を感じる。


熊鷹稲荷大神
  • 熊鷹稲荷大神
    熊鷹稲荷大神 
  • 熊鷹稲荷大神前の街道 - 赤間宿に向かって撮影
    熊鷹稲荷大神前の街道 - 赤間宿に向かって撮影 

街道はここより右にカーブする。


底井野小学校
  • 底井野小学校
    底井野小学校 
  • 底井野小学校手前の街道 - 写真左側方向が正覚寺への街道。右手が底井野小学校
    底井野小学校手前の街道 - 写真左側方向が正覚寺への街道。右手が底井野小学校 

小学校の建物には御茶屋があったという。

下の月瀬八幡宮の本殿内の絵馬に描かれている。


正覚寺前
  • 正覚寺全景
    正覚寺全景 
  • 正覚寺前の街道 - 写真右方向が蓮光寺に向かう会尾堂である
    正覚寺前の街道 - 写真右方向が蓮光寺に向かう会尾堂である 
  • 正覚寺内の弘法大師象 - 台座の文字が風化してしまっており年代は不明
    正覚寺内の弘法大師象 - 台座の文字が風化してしまっており年代は不明 

正覚寺は西山浄土宗で山号を小松山という。

正覚寺内で写真撮影していると お寺の関係者とみられる老夫婦に声をかけられ、正覚寺の前の古道の話、底井野小学校が昔お茶屋であったこと など熱心にお話をしていただいた。また弘法大師ゆかりの大根川の話もうかがった。有難うございました。(2010-07-31)

本堂左手に弘法大師を祀ってあるお堂がある。西山浄土宗なのに真言宗の開祖があるので不思議に思ったが, 上のお寺関係者の老夫婦のお話では昔は弘法大師は別格で宗派には関係なしに信仰されていたとのこと。


蓮光寺前
  • 蓮光寺
    蓮光寺 
  • 蓮光寺前の街道 - 写真前方が月瀬八幡宮である。
    蓮光寺前の街道 - 写真前方が月瀬八幡宮である。 

蓮光寺前は浄土真宗本願寺派である。


月瀬八幡宮(猫城(ねこじょう)跡)
  • 月瀬八幡宮
    月瀬八幡宮 
  • 月瀬八幡宮前の街道 - 赤間宿に向かって撮影
    月瀬八幡宮前の街道 - 赤間宿に向かって撮影 
  • 月瀬八幡宮本殿内の絵馬(「黒田藩主宿驛之図」- 寛永15年2月の銘)
    月瀬八幡宮本殿内の絵馬(「黒田藩主宿驛之図」- 寛永15年2月の銘) 
  • 月瀬八幡宮境内から眺める底井野の街並              
    月瀬八幡宮境内から眺める底井野の街並               
  • 天満宮近くの古い建物
    天満宮近くの古い建物 

月瀬天満宮前の案内板の内容をそのまま記す。

猫城跡()(Site Of Neko Castle)

猫城(ねこじょう)は、室町時代に麻生(あそう)氏の端城(はじろ)として築かれたといわれ、 その城跡には、現在、月瀬天満宮の社殿があります。

城跡の丘陵には、高さ約20メートルの円錐状で、すそ野には水濠の名残りがみられます。

山鹿(やまが)城の麻生元重(あそうもとしげ)宗像大宮司氏貞(むなかただいぐうじうじさだ)は、 数度の合戦に及ぶも決着がつかず、天正6年1578、遠賀川の東は麻生領, 西は宗像領となります。 氏貞は、家臣吉田倫行(よしだりんこう)雑兵(そうへい)150余人をつけ、猫城に配属します。

天正8年5月、豊後の大友氏(立花雪道(たちばなせつどう)の説もあり)の指令を受けて、 鷹取城(たかとりじょう)毛利鎮実(もおりさねとも)が攻め込みますが、 宗像勢は激戦の末、これを打ち破っています。 頂上からは、遥に宗像・鞍手(くらて)。遠賀が一望され、要塞の地であったことが想像されます。

「猫城」の名の由来は、定かではありませんが、「猫が背を丸めた姿に見える」とか「敵が攻めて来れば高くなり、 攻め下るときは低くなり、まるで猫のようだ」との言い伝えがあります。 - 中間市教育委員会


砂原地蔵
  • 砂原地蔵
    砂原地蔵 
  • 写真右手が砂原地蔵 - 街道はここで直角に左折する
    写真右手が砂原地蔵 - 街道はここで直角に左折する 

街道はここで赤間宿に向って直角に左折する。

砂原地蔵の由来を案内板の内容をそのまま記述する。案内板は手書きでかなり痛んでおり、所々判読できない箇所がある。

砂原地蔵

この付近一帯の底井野村は、遠賀平野に属する豊饒な農耕地帯であ■き■た■■が 江戸時代の三大飢饉といわれる享保・天明・天保大飢饉にはその度に多数の餓死者を出しています。 とくに享保17年には筑前国に餓死者10万人と記録にあり、郷土底井野でも多数の死者を出しています。

また、■昔の入■時代がら底井野の地で■■■ために明和、文化、天保、嘉永、明治と大洪水 の被害も甚だしく、その度に川西の全村の水没で多くの犠牲者をだしております。

こうした尊い犠牲者の霊を弔う施餓鬼法要が江戸時代より営まれましたが、明治19年の水害による 被害者20余の遺体が流れ着いたことを機会に全村人の協力でこの砂原に石地蔵を祀り今に菩提が弔われています。 - 中間ライオンズクラブ・中間郷土史会


庚申様
  • 庚申様
    庚申様 
  • 案内板
    案内板 
  • 庚申様前の街道 - 赤間宿に向かって撮影
    庚申様前の街道 - 赤間宿に向かって撮影 

庚申様境内の銀杏の木は見事である。秋に訪れてみてほしい。


十一面観音
  • 本堂
    本堂 
  • 十一面観音前の街道 - 画面左が十一面観音
    十一面観音前の街道 - 画面左が十一面観音 

街道はここで赤間宿に向って90度左折する。


古月小学校前
  • 古月小学校前 - 遠賀川方面に向かって撮影
    古月小学校前 - 遠賀川方面に向かって撮影 

未稿


木月橋
  • 木月橋 - 赤間宿に向かって撮影
    木月橋 - 赤間宿に向かって撮影 
  • 木月橋より下流を望む
    木月橋より下流を望む 

未稿


天神下の菩薩像前
  • 菩薩像
    菩薩像 
  • 菩薩像前の街道 - 赤間宿に向かって撮影
    菩薩像前の街道 - 赤間宿に向かって撮影 
  • 菩薩像側面
    菩薩像側面 

石像の横に「天明六(1786年)」の刻印が読み取れる。


倉坂橋(黒橋)
  • 倉坂橋 - 赤間宿に向かって撮影
    倉坂橋 - 赤間宿に向かって撮影 
  • 荒五郎山
    荒五郎山 

ここから苦しヶ峠(荒五郎山)へ向かう登り坂である。

荒五郎山山頂には薬師院(天台宗)が伽藍を構えている。


苦しヶ(くるしけ)峠入口
  • 峠入口 - 赤間宿に向って撮影(写真中央の黒い部分)
    峠入口 - 赤間宿に向って撮影(写真中央の黒い部分) 

場所が分かり辛いが、入り口の向かい側に鉄塔がある。夏場が草木が茂っていて入り口を判別できないかもしれません。


苦しヶ(くるしけ)峠付近
  • 峠付近 - 赤間宿に向って撮影
    峠付近 - 赤間宿に向って撮影 

2009/11/15初めて足を運んだ。車の通った跡がある。単独行はやはり怖い。 街道の左側は主に竹林である。

2009-12-27 寒い中底井野側より苦しヶ峠を我が念仏2号にて完走。 イノシシなどの動物が出てこないか怖かった。 本当は人の死体などがあったらどうしようかと思った。 ほんの5分くらいの距離ではあるがずいぶん長く感じた。


苦しヶ(くるしけ)峠出口
  • (1)苦しヶ峠出口 - 木屋瀬宿に向って撮影
    (1)苦しヶ峠出口 - 木屋瀬宿に向って撮影 
  • 苦しヶ峠出口 - 赤間宿に向かって撮影
    苦しヶ峠出口 - 赤間宿に向かって撮影 
  • 苦しヶ峠出口 - 赤間宿に向かって撮影
    苦しヶ峠出口 - 赤間宿に向かって撮影 

写真(1)中央のじゃり道が出口である。


お地蔵様
  • お地蔵様
    お地蔵様 
  • お地蔵様 - 赤間宿に向かって撮影
    お地蔵様 - 赤間宿に向かって撮影 

お地蔵様の前の街道は綺麗に舗装されている。ここより数百メートルで赤間道との合流地点である六反田の交差点である。


六反田の街道
  • 街道
    街道 

未稿