遠賀川より東側[底井野往還] SOKOINO-OOKAN ROAD AT EAST SIDE OF ONGAGAWA RIVER
- 概要
-
遠賀川より東側の底井野往還についてご紹介する。 ここからは、直接黒崎への街道と、長崎街道添いの涼天満宮に向かう道とに分岐する。 ここでは、後者についてご紹介する。
- 涼天満宮
-
涼天満宮については長崎街道(涼天満宮)を 参照のこと。 ここより下上津役橋の間はルートの比定ができていない。 新興の住宅開発などで区画整理されていて判然としない。
- 直生酒店前
-
涼天満宮-下上津役橋間は道の比定ができていないが、ひょっとしたらこの酒店前の 道は街道であったかもしれない。なぜなら、酒店は昔から素の場所に店を構えていること が多い為。今後の調査が必要。
- 下上津役橋
-
橋は金屑川に架かっている。
- 下上津役2丁目交叉点
-
街道はここより左に緩いカーブをえがき、徐々に登りがきつくなる。
交叉点の脇には、熊野神社が鎮座している。
- 観慈亭
-
観慈亭の由来など精査する時間がなく、案内板の写真をとりあえず掲載する。
地元の方々による清掃がよく行き届いている。
- 役之郷清水ヶ池古駅水
-
観慈亭よりなだらかな坂道を100mほど行くと、この古駅水がある。 街道の右側に入り口があるが、注意していないと見逃してしまう。 ここでは、案内板の内容をそのまま記す。(ふりがなは追記しています)
「平安時代、現在の上上津役,下上津役, 町上津役,小嶺にわたる地域は「役之郷」 (鎌倉時代から室町時代までは上津役郷)と呼ばれていた。この「役之郷」は「夜久の駅」 にかかわる地名といわれている。
「夜久の駅」は延喜式の兵部省諸国駅伝馬の条に見える筑前十九駅の一つで、駅馬15疋を常置していた。 全国から筑前酷太宰府に至る官道にあった駅であることは間違いないが、明確な位置は分かっていない。 しかし「夜久の駅」の設置されていた郷、すなわち「夜久郷」の地名の由来や伝承から、 古駅水の地が「夜久の駅」であったのではないかといわれている。
この古駅水の古道は、藩政時代、長崎街道より上の原・中間 を経て赤間に至る中通りと呼ばれた内往還であった。
井戸のかたわらにある地蔵菩薩像には寛延元辰年(1748)の銘があり、「右赤間道 左やまみち」 と刻まれている。
井戸はどんな干ばつでもかれることはなく清水が湧き、当時のこの道路を往来する 人馬や村人を慰めたことであろう。 - 北九州市教育委員会」
案内板の後半部分の「右赤間道 左やまみち」の文字は探したが確認できなかった。
- 妹ヶ谷の切り通し
-
この坂を登ると、そこから下り坂で通谷がもうすぐである。
- 通谷
-
通谷は少し歩いてみると分かるが、なだらかな丘に囲まれ、文字通りその谷にある。 残念ながら、開発が進んでいて、街道をしのぶ風景は発見できない。
街道は筑豊電鉄の通谷駅の踏切を渡り、赤間宿に向かう。
この踏切の周辺は、道路が狭いせいか車が多く混雑している。
踏切より赤間宿側に少し歩いたところの右側の丘の中腹に太賀神社が鎮座されている。
- 法専寺前
-
法専寺前は浄土真宗本願寺派の寺院で山号を松風山と言う。
- 梅安天満宮前
-
梅安天満宮は街道脇に石段があり街道には案内の看板などが無いので注意していないと見逃してしまう。 境内にはちょっとして展望台があり、そこから中間市内・北九州市内の山々が展望できる。
- 篠隈宮の鳥居
-
鳥居をくぐって、上まで行くと本殿は今は無い。
- 江川橋
-
江川橋は中間市役所のすぐ脇にある。街道はこの橋の手前を右に曲がり、唐戸の水門に向かう。
- 唐戸の水門
-
唐戸の水門より街道は中間市役所に向かう。
街道左手には水路が流れ、水路内には藻が水流に身を任せて漂っているのが見える。 地元の人のお話では、この水路は昔は「どぶ」川で最近綺麗になったとの事。 朝夕の散歩にはもってこいの道である。































