三瀬街道  FORMAR MITSUSE-KAIDOU AVENUE

概要

  • 金武宿
    金武宿 

早良区の千眼寺付近より三瀬峠を越え、佐賀に至る街道である。

金武宿のみ位置が確認できている。資料が乏しくこれから調査開始である。

金武宿-佐賀間のルートは作者の独断でのそれで、誤っているかもしれません。


地図

※地図中の赤・青色マーカをクリックすると、その地点の詳細な案内へのリンクが表示されます。

高取(たかとり)二丁目信号

  • 高取二丁目信号 - 金武宿に向かって撮影
    高取二丁目信号 - 金武宿に向かって撮影 

街道のすぐ左手には紅葉八幡宮が鎮座している。


新開橋

  • 新開橋 - 金武宿に向かって撮影
    新開橋 - 金武宿に向かって撮影 

未稿


金屑橋

  • 金屑橋 - 金武宿に向かって撮影
    金屑橋 - 金武宿に向かって撮影 

街道はこの橋を渡らずに、左に折れる。金屑川は油山川にかかる橋である。


船底橋

  • 船底橋 - 金武宿に向かって撮影
    船底橋 - 金武宿に向かって撮影 

未稿


次郎丸(じろうまる)

  • 街道 - 金武宿に向かって撮影
    街道 - 金武宿に向かって撮影 

写真のように、この付近は白壁造の商家が立ち並んでいる。

おことわり。この地点が三瀬街道上の場所かどうかは資料などで確認したわけではありません。 多分、道周辺の雰囲気・位置関係からして間違えでは無いとはおもうが・・・(2010-02-21現在)


金武宿(かなたけじゅく)

  • 金武宿
    金武宿 
  • 金武宿の案内板
    金武宿の案内板 

宿場の中心には人馬継所(馬や人足を手配するところ)があり、木賃宿が一軒あった。 その他、醤油屋・酒屋・紺屋・質屋・雑貨屋などが営まれていた。 現在も石垣・土蔵などが残り、宿場の面影をとどめている。

 

『筑前続風土記 巻二十』によれば下記のとおりである。 原文のまま記載する。

○金武村

福岡より三里許有。是肥前三瀬(みつせ)越に行く道也。是より山を越えて一里半行ば、怡土郡飯場村有。 飯場より又山を越て三瀬へ行く。 飯場より三瀬へ一里廿二町有。金武の境内に立神山と云高山有。此山に岩多し。白石有。(かき)殻多くつけり。 此所のみに限らず、夜須郡古所山にも蠣殻付たる大岩有。又他國にもあり。金武より怡土郡河原村へ越る道有。山を越行く。 龍嶺と云。


妙見橋

  • 妙見橋 - 飯場峠に向かって撮影
    妙見橋 - 飯場峠に向かって撮影 

妙見橋を渡ると街道は左に急カーブする。


庚申塚

  • 写真右脇 - 飯場峠に向かって撮影
    写真右脇 - 飯場峠に向かって撮影 

未稿


庚申塚

  • 庚申塚
    庚申塚 

未稿


登山口

  • 登山口 - 飯場峠に向かって撮影
    登山口 - 飯場峠に向かって撮影 
  • 登山口から福岡市内を望む - 飯場峠を背にして撮影
    登山口から福岡市内を望む - 飯場峠を背にして撮影 

ここから先にも道は続くがなぜか鎖で車両が通れないようにしてある。 ここから先、次の分かれ道までは落ち葉がかなりたまっているが、道は舗装されている。


分かれ道

  • 分かれ道(街道はこの分かれ道を右に向かって進む) - 飯場峠に向かって撮影
    分かれ道(街道はこの分かれ道を右に向かって進む) - 飯場峠に向かって撮影 
  • 途中の街道(このように街道の所々は川となっている) - 飯場峠に向かって撮影
    途中の街道(このように街道の所々は川となっている) - 飯場峠に向かって撮影 
  • 途中の街道 - 飯場峠に向かって撮影
    途中の街道 - 飯場峠に向かって撮影 
  • 途中の街道(倒木) - 飯場峠に向かって撮影
    途中の街道(倒木) - 飯場峠に向かって撮影 

街道はここまではなだらかな上り坂であるが、ここから峠まではゴロ石・倒木・川などがあり かなりハードなの上り坂である。

峠までは室見側に流れ込む小川に沿って進み、所々では小川の中も通る。 小川の中の岩には苔が付着して滑る。

に、さすがに単独行は無理とみて、KUさんに同行をお願いした。写真の人物はKUさんである。

余談ではあるが、ここから峠までオフロードバイクのものと思われる(わだち)の跡が続いていた。 ここをバイクで登ったとすればかなりの達人である。


飯場峠

  • 峠
    峠 

峠にはなにもない。

ここから曲淵側のR56までは地図上では直線距離で500mほどの下り坂である。未だ通ったことがなり。 これからの楽しみにしておこう。

作者は以前(2011年11月)R56側の上り口からの峠までのルートを試みたが、"工事中立入禁止"の札があり断念した。


三瀬峠

  • 国境石(正面)- 「從是南肥前國」「從是北筑前國」
    国境石(正面)- 「從是南肥前國」「從是北筑前國」 
  • 国境石(北側)- 「怡土郡飯場村抱」
    国境石(北側)- 「怡土郡飯場村抱」 
  • 国境石(南側)- 「神崎郡三瀬山村」
    国境石(南側)- 「神崎郡三瀬山村」 
  • 国境石(裏側) - 「文化十五戊寅四月建立」「文化十五年戊寅歳四月建立」 - 椿の幹に食い込んでいる
    国境石(裏側) - 「文化十五戊寅四月建立」「文化十五年戊寅歳四月建立」 - 椿の幹に食い込んでいる 
  • 国境石(遠景)
    国境石(遠景) 
  • 三瀬峠(国境石は道路左手) - 肥前(佐賀県)に向かって撮影
    三瀬峠(国境石は道路左手) - 肥前(佐賀県)に向かって撮影 

街道はこの峠から肥前国(佐賀県)に入る。

国境石はこの峠(R263)の佐賀に向かって右手の土手の上にある。 石の高さはゆうに2mはある。(台座は土に埋もれて見えない) すごい存在感のある石である。作者が今まで見た国境石の中で一番である。

正面には南側(左手)に「從是南肥前國」北側(右手)に「從是北筑前國」と刻まれている。

北側の側面には「怡土郡飯場村抱」、南側の側面には「神崎郡三瀬山村」。

裏面には肥前(佐賀側)に「文化十五1818戊寅歳四月建立」、筑前側に「文化十五1818年戊寅四月建立」と刻まれている。


備忘録

2010-06-30現在ルートの確定ができていません。 『筑前国続風土記巻之二十二』の飯場・水無の項を備忘録として記載しておこう。

○飯場村

飯場は早良郡金武より一里半長坂を越行、深谷に在る村也。 又當郡河原村より飯場へ越える道有。其間三十二間有。 其峠を、むしぶくと云う。此村は谷の中狭くして田畠少し。 村民毎日薪(すすき)を福岡に持出て賣る。此谷の下の入口 は早良郡内野、其上は石竃(いしがま)、其上は曲淵、其上は此村也。 下の三村は早良郡也。 飯場も同じ谷の上にあれ共、怡土郡に属せり。此村は曲淵の少上に在。 飯場村の前なる谷水は、水無より出る谷水に非ず。飯場の三町下、曲淵の 上に西南より流出る谷川有。是水無より出る川也。其川上八町に野河内村有。 是飯場の枝村也。是又地高し。其西半里餘を上りて水無有。其間道けはし。 水の流れは急流にて瀧多し。水無の方甚高ければ也。此村より肥前の境迄一里、 肥前の三瀬へ三里有。佐賀へ行く道なり。

○水無

飯場の枝村、野河内より半里餘上に在、石竃、曲淵の谷の上也。 野河内も飯場より上り行て地高し。野河内より上は、又漸高き坂を登り行。 其間左に谷側有。瀧多し。又井原村の南の高山を越て水無に行。是は谷筋には 非ず。井原山と水無とは高山を隔て別谷也。水無の南の谷中に在。谷水も井原山 の方へは流れず、曲淵も至て早良川に入る。深山幽谷の内にて谷内廣からず。 昔は人家も田畠もなし。近年民家三家でき、田畠を作る、飯場村より一里許有。 飯場村は早良の奥に在て、其地いと高し。水無は飯場より又甚高し。 冬春甚寒く、夏蚊なり。地肥て草木うるはし。()木異草多し。 四方の村里に各一里餘有。皆嶮路也。民家の上三町許の間、此谷水半月は甚水少し。 久旱(きゅうかん)の時も水なし。故に水無と云。かやうの所他國にも是有 和州吉野の奥、音無川も亦然り。水無よりも南の山は筑前肥前の堺也。嶺迄十餘町有。 其西に猶十餘町行ば、うなきれと云所有。肥前の境也。昔原田了榮と龍造寺隆信の 臣神代氏と合戦せし所也。又童瀧と云瀧有。高六間許、其上に兄の瀧有。高十間許有。