畦町宿[唐津街道] AZEMATI STATION
- 概要
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案内板の内容をそのまま記す。
畔町は、昔(藩政時代)筑前黒田藩が指定した27宿駅の一つであった。
慶長5年(1600年)関ヶ原合戦の後、黒田長政が筑前の国主として入国するころまでは、まだ 人家も少なかったが、寛永19年(1642年)唐津街道の整備に際し、青柳(古賀市)と 赤間(宗像市)との間、約4里(16km)が遠すぎるということで、当時の鳥ノ巣村と 本木村の一部を街道沿いに集め、宿駅として新たに成立したのが 畔町村である。 当時100余軒の戸数があり、480余人が住んでいた。街道を行き交う人も多く商家が多かった。南北に 通じる街並みの入り口の両脇には構口があり、御制札所や役人詰所はあった。
宿場町として栄えた畔町村も明治年代以降は、宿駅廃止や鉄道などの 交通路線の変更と共に宿場の昨日を失った。今では、宿場通りも古い家は建て替えられ、 昔の家並みは少なくなったが、「杉ぼて」や「卯建」など江戸時代のたたずまいが 残っているところもあり、宿場町の名残りが感じられる。 - 文:平成11年度 福間町公民館主催ふるさと再発見教室
ここではは畔町宿より次の青柳宿の直前までのポイントを順次記述する。
- 西郷川・畦町橋[畦町宿]
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この橋を渡ると、街道は畦町の東構口に入る。
- 東構口[畦町宿]
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畦町を渡ると東構口があったと思われるところに出る。構内の痕跡は何も無い。
- 天満宮[畦町宿]
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東構口のすぐ先に天満宮への参道の入り口を示す灯篭がある。 その灯篭のすぐ内側には年代物の菩提樹が道の真ん中に植えれられている。 菩提樹の枝はなぜか木製のあて木が添えられている。
そこから参道を進むと、急峻な石段が続き、一の鳥居をくぐる。 さらに石段を進むと、本殿に出会う。
本殿は良く手入れがされているようであるが、痛みが激しい。
- 護念寺前[畦町宿]
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写真のの右が護念寺(浄土真宗本願寺派)の山門である。山号は本堂の額がうまく読めなかったが、 おそらく"萬蒲山"であろう。ずっと先の山が許斐山か。
- 西構口[畦町宿]
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西構口には写真の観地山地蔵尊が鎮座されている。
- 畦町案内板
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街道はここでR503と合流する。 ここに畔町宿の案内板がある。
- エンジュ(槐)
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エンジュの木はR503沿いの青柳宿に向かって左の小高い場所に立っている。その木の根元には祠が祀ってある。
その場所はどう見ても自然にできたものでなく、一里塚ではないかとずーっと気になっていた。 だが、これは年代はわからないが、戦死した軍馬のお墓であるとのことである。 (唐津街道参照のこと。)
- 川口屋
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店内は古い酒樽などの骨董品がおいてある。
作者は北九州の実家に戻るときは行きも帰りもここの自動販売機で缶コーヒーを買って一服する。
- 内殿橋
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街道は橋を渡って左手の細い道を青柳宿に向かって進む。
このあたりは道が入り組んでいて作者は何度も道に迷った。上西郷小学校を目印にされると良い。
- ならの木坂入り口
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街道はこの先自然道の坂道を進む。 かなり旧な坂であり、途中に倒木などがある。 街道は地図の番号順に青柳宿に進む。(写真はすべて青柳宿に向って撮影している。)
峠付近に小さな木製の「唐津街道」の道標がある。この道標のおかげでこの道が正しい路で あることの確信が持てた。道標を建てた方々はどなたは分かりませんが感謝致します。 道標はこの坂を青柳宿方向に下りR503との合流地点にも設置されている。
※この付近は夏場は草木が繁茂して歩行は困難かもしれません。
- 峠付近
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峠付近はみかん畑になっている。街道はここより下り駕篭立場跡へと進む。 (写真はすべて青柳宿に向って撮影している。)
写真(3)の先の横断歩道の左側より先が駕篭立場跡である。
- 玄望峠の駕篭立場跡
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駕篭立場跡は写真(1)左手の道路標識の左の白い手すりよりR503よりはずれ、R503と平行してあったと云う。 ('40'の道路標識の上あたり)
写真(2)が白い手すりを登って10mほど進んだ場所であるが、ご覧の通りつる性の草木が 繁茂して歩行は困難である。(2009-11-29現在)
さらに、進み写真(3)のガードレールのところよりR503と再び合流する。
- 玄望峠の駕篭立場跡(南)
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作者は唐津街道沿の道を通って北九州-福岡市を往復することが多いが、ここはお気に入りの道である。 春は桜・菜の花、夏は高原のそよ風、秋は紅葉と四季おりおりの自然が楽しめる。
- 愛宕社
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愛宕社の向かい側は、飯盛山である。 登山口があり、頂上から見る北側に広がる、古賀市内やその先の玄界灘の眺望はみごとである。 また、山頂には桜の木が多数あり桜の名所とのことである。
飯盛山は昔、城があったとのことであるが、その痕跡は発見できなかった。 予断ではあるが、高低差約70mの登山道はよく整備されているがかなり急である。
- 旦ノ原の井戸
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説明板の内容をそのまま記す。
「旦ノ原は旧糟屋・宗像二郡の境で、莚内・薦野(糟屋郡)・ 内殿・上西郷(宗像郡)の四村にまたがる丘陵一帯のことを言います。
江戸時代は、ここを通る道を唐津街道といって参勤交代の要路でありましたが、丘陵にあるため 水がなく困りました。
この事情を当地に住んでいた伊東忠平が、大庄屋の石松林平に訴えて、井戸を掘る事をお願い したところ許され、伊東忠平の屋敷に文久2年(1862年)の秋に掘り始め、翌3年にできあがりました。
以来住民にも旅客にも便利になり、この井戸のことを「二郡四ヶ村井戸ひとつ」と呼ばれるように なりました。[以下略] - 平成21年3月 古賀市教育委員会」
- 唐津街道道標
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「左畔町二里」との銘がある。街道はこの道標の青柳宿に向かって左に進む。
- 医王寺前
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医王寺は曹洞宗の寺院である。医大寺前の街道はのどかな田園風景が広がる。
- 唐津街道道標
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心ない人のいたずらで道標が白いもので汚されている。 「左青柳町半里」「右畔町二里半」との銘がある。
- 古賀上水道交差点
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畔町から玄望峠、旦ノ原の井戸あたりまではかなり急な上り坂でしかも山道である。 博多に向かう旅人たちはこのあたりで立花山を見たときに一安心して 木陰で一服したであろう。
ここより、博多まではほぼ平坦な道のりである。
- 庚申尊天
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青柳宿に向かって街道の右脇にひっそりと建っている。
- 十一面観音
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手前の道路が503号線。街道は右手の狭い道路へと青柳宿に向かう。 十一面観音は銀杏の木の付近にある。
- 浄土院そば
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浄土院は街道から少しそれたところにある。 浄土宗鎮西派で山号を安楽山という。 本堂の扁額は年代を感じる。
- 古賀インター入り口交差点
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写真で右の車の走行している道は35号線。街道は画面中央のライトを点灯している車が走行している道で畔町に向かって進む。

























































